はじめに
誰が見てくれているのか分からないような、或は誰からの気にも留められないようなサイトで「はじめまして」は気が引けたから独りよがりの序章を綴ることにする。
勿論小説を読むことは好きだし、小説家に憧れはあるけれど別に小説家になりたい訳ではなくて、端的に言えば逃避の場所が欲しくて、四角い世界に飛び込んだのです。(うん少しカッコよさそうな表現をしたかっただけだよ、サイトを作った、ただそれだけのこと。)だから、本当に独り言を好きなときに好きなだけ呟いておく、言わば私からこぼれ落ちた思考の破片をスクラップしておくこと。それがこのサイトの存在意義。素性が分からないから何でも好きなことを好きなように表現出来るね。なんて素敵で恐ろしい可能性を秘めているんだろうね。尤も、危険を冒すようなことは書かないし書けないし書く気もないけど。
ところで、働くってなんだろうね。
最近頻繁に考えを巡らしていること。はたらく、ということ。お金を稼ぐこと、でもそれは結果でしかなくて、直接的な答えではなくて。だって労働の対価としてお金を貰うのだから。10代の頃は、働く、っていうのは「自分の時間を換金すること、或は命の切り売り」だと考えていたけど。今思うとなんて生意気な10代なんだろうとぞわぞわするよ。けれども、アルバイトなんかが顕著だけれど、自分の命のうちの1時間をざっくり1000円で売ってる。接客や其の他諸々自分にしかできないものを価値として提供している、それはほんとのことだと思う。けれどもそれらは付加価値であって「命」に上乗せされたもの、そういう風にしか捉えられなかった、ついこの間までね。嘘じゃないよ、意外と若いんだ私は。
だって、働いて疲れて家に帰ってきて不満を垂れて一杯のワイン(ビールは飲めないんだおこちゃま舌だからね)で自分をなぐさめて「はあ明日もお仕事だ」と次の日の朝スーツに袖を通すまでの、つかの間の自分の時間さえも疲れに包まれて過ごして倦怠感に抱かれて眠る、それって人生まるごと売っているんじゃないの?自分の人生、すべてを誰かに預けて管理されてるんじゃないの?それってどうなのかなあってずっと思ってたよ。
そこには、10代の私には気づけなかった、薄い氷みたいに思考の海を覆っていた大前提があったんだ。
「会社員であることが唯一無二の正解、なのだから」
それがいちばん きちんとした りっぱな すがた 。
そう在るべきっていう暗黙の了解的なものが、気づかないうちに私の思考を包んでいたんだ。ずいぶんと偏っていたように思うよ。だってそれが唯一神のように思っていたんだからね。尤もそれは偶像崇拝だったわけだけど。
勿論会社員の方は立派だと思うし私の出来ないことを沢山されていて尊敬もする、けれどもどうしても、私は「雇用される」ということに対して「私自身が大きな組織の中のひとつの部品として動く」という想像から抜け出せないでいる。部品になることが働くということなのかな、小さな部品なら取り替えだってできるんだから・・・
けれどそんな結論に達してセンチメンタルになっていたある日、自己啓発系の書籍を手に取ってみたら「自分自身であることが私の仕事」と書いてあったわけです。
なるほどなあ、としか思えなかった。でも、とかだって、とかそんなこといったって、とか、そんな言葉は出てこなかった。水面の氷がじんわり溶けて温かい海水が砂浜に向かって前へ前へって流れて行った感覚、とにかくストン、って胸に落ちてきた。僕が僕である云々(割愛)は、なるほど的を射ているわけです。耳に残るよねあのフレーズ。そして声も良い。閑話休題。じゃあ、「私が私である為にしなきゃいけないことって何だろう」って考えたんですけどこれまたシンプル。シンプルすぎて拍子抜け。
「好き、だけを選択すること」
好きな服装、好きなメイク、好きなライフスタイル、好きな食べ物、好きな言葉
だってそれが私なんでしょう?私が私である為には、私を好きなもので満たすしかないでしょう?無理矢理部品になる為に捨ててきた「私」は、心のゴミ処理場で泣いているんじゃないのかな、痛いとか言わないでねここは自由なんだから。
まあ、生意気だとかそんな甘くないとか思われよーが言われよーがなんでも良いけど「私には私にしか出来ないことがたくさんあるし私にしか提供出来ない価値がある、【私】の構成要素の一つでも欠けたら【私】は完璧ではなくなってしまうのだから無理矢理誰かの意図戦略思惑によって鋳型にはめないで。」って最近強く思うようになりました。量産型ではなくて、自他ともに認める【私】のスタイルが確立出来たらお仕事は順調だと思ってオッケー。そのお仕事は自分が永い永い眠りにつくその日まで続いて行くのだから。
そういった意味で、私は小説家に惹かれる。
作品には作家の思考や生き様や価値観が反映されていて、その人にしか作り出せないもので。それまでの人生、生き方、理想、全てを含有して「小説家」という生き方なんだと思う。あまり私は絵画には詳しくないから何とも言えないけれど、きっと画家もそうなんじゃないかと思う。画家だったら私はルソーが好きなのだけれども、それもまた彼の人柄や暖かい人生を感じられるから。「世界は優しい」、そう教えてくれたのはルソーの絵や彼に関する書物でした。
生き様が仕事。
そう胸を張って言えるような人間で在りたいです、
そんな目標を達成する為に思考のスクラップブックをここに作りました。いつか見返して赤面したり、はたまた腹を抱えて笑うかもしれないけれど、私は「仕事」を生涯かけて達成することにします。
2017年10月 茉莉花